次のステージに向けての試行錯誤●小林晋也

2013/09/06

次のステージに向けての試行錯誤 




 

小林晋也 


技術翻訳者(日英/英日)。神奈川県生まれ。各地を転々として現在は大阪府在住。米国オレゴン州でフリーのシステム開発者として活動。1999年に帰国した後は、フリーランス翻訳者(屋号スタジオコアラ)として活動。専門分野は情報通信技術。
好物は欧米文学、哲学、宗教、歴史、政治経済。現在、日本の古典文学にはまり中。
スキルアップを目指し、知識と経験を共有する「関西通翻勉強会(SKIT)」の主催メンバー。
■Webサイト:スタジオコアラ
           www.studiokoala.com
■ブログ:TRA Café
           note.studiokoala.com

 

右も左も分からないまま翻訳業界に飛び込んで13年経ちました。多少の浮き沈みがありながらも、ようやく軌道に乗れたと思った矢先に金融危機による仕事の激減を経験。また1から出直しのような状況から、なんとか翻訳者として踏みとどまっています。あっという間に過ぎた13年ですが、いくつかの浮き沈みを経験し乗り越えてきたことで、私はようやく翻訳者としてのスタートラインに立てた気がしています。
そんな中、SNSで知り合った友人達に誘われ、5月に大阪で開催された翻訳勉強会「十人十色大阪編」に参加しました。そこでプレゼンターの1人として、「そこそこのIT翻訳者が過去、現在、未来の生き残りについてそこそこ語ってみる」 という題で、これまでの自分を振り返り、現在思っていること、今後生き残るためにどうしようと考えているのかについて率直に述べさせていただきました。たわいもない話かと思っていましたが、予想外の反響をいただき、このジャーナル紙面にもお邪魔させていただくことになりました。
 
翻訳を始めるまで
今でこそ英日/日英の翻訳をしていますが、元々英語は苦手で、受験、大学、在米時と、ずいぶん英語には苦しめられてきました。この苦手意識は結構根深く、未だに解消されていません。大学では米文学を専攻し、西洋思想、仏教、東洋思想などを学びました。漠然と研究職を目指していましたが、諸事情で中退、断念することになります。その後も読書会などで小説を深く読み込み、「翻訳の面白さ」に触れる機会に恵まれました。
 
30歳を過ぎて何故か渡米することになります。短期間の予定が一転し、コミュニティカレッジに入学。そこで、プログラムとネットワークを学びました。80年代初期から趣味でコンピューターに触れてはいましたが、文学、哲学系から全く異なるIT分野への転身でした。意外に、この分野が向いていたようで、在学中から能力を認められ、卒業後は気づくと現地でフリーのシステム開発者となっていました。この当時の仕事の経験(プロジェクトの立案、システム分析・設計など)や生活体験が今のベースになっています。

<醸造工程管理システムを手がけたワイナリー>
 
1999 年に帰国。日本では、年齢制限や開発言語の違いなどの障壁が多く、会社務めが性格に合わないことから、しばらくは家業の手伝いをしながらフリーのIT開発を続け、Webサイトの作成や翻訳なども手がけました。SOHO関連のサイトに登録したり、知り合いからの仕事を直に受けるような形です。しかし、知人も 少なく基盤の弱い状態では継続するような仕事はなかなか得られず、報酬を取り逃したこともありました。そのため早々に開発の仕事に見切りを付け、翻訳業に移行することにしました。
 
すでに翻訳学校に通うような時間や金銭的な余裕などはなく、あるのは在米時からたまに受ける翻訳の経験だけ。 それも大がかりのものではなく、ビジネス系の書類や個人のWebサイト程度のものです。自分がどの程度の翻訳能力があるのか知らず、翻訳会社のトライアルを受ける以前の手探りの状態で、Web上の仲介サイトに登録しました。そこで行われていたトライアルに何度か合格して仕事を受けるようになり、ある程度自信と目処がついた時点で翻訳会社のトライアルを受けて登録となりました。その後、安定して仕事を受注できるようになりました。
 
これまで述べたように、私には「会社務めの経験」、「翻訳学校の経験」、「英語の自信」というものがありません。ないからこそ、一つ一つ実績を積み上げようと必死でした。多少専門外の案件でも積極的に受け、可能な限りオンサイトの作業も受けてきました。翻訳そのものではなく、周辺作業も喜んで受けるようにしました。自分の強みであるITに関わる技能を最大に活かして、「強固な基盤」を作ることを目指したのです。仕事を覚え、顔を覚えてもらう、取り引き相手を増やすよりも、まず1社ずつ「信頼関係」を築くことに専念しました。そのため、現在でも登録先は他の翻訳者さんに比べるとかなり少ないと思います。
 
継続して仕事を受注できるようになり、徐々に取引先も増え、ようやく安定したと思った矢先に金融危機が起こります。単価が下がり、受注量も激減します。取引先も減るなど、回復するまで非常に厳しい状況が続きました。仕事は減り厳しい状況でしたが、時間は十分にあることから、これを良い機会と捉え、苦手な経済分野の克服に放送大学に再入学します。また、SNSも積極的に活用するようにしました。そこで初めて同業の翻訳者さん達と交流する機会も生まれ、多くの刺激を受けるようになりました。苦しい時でも長く付き合いのある翻訳会社さんからは仕事を回してもらうことができ、「信頼関係」の重要性を痛感しています。
 
このように翻訳学校にも行かず社内翻訳の経験もない私が、浮き沈みはあったものの、ここまでフリーランス翻訳者として生き残ることができたのは、信頼できる 取引先に恵まれたおかげだと思います。もちろん、運だけでは今後生き残っていくことはできません。生き残るために大切なことはいくつもありますが、ここでは、何点か考えを述べてみたいと思います。
  
自営業として
フリーランスとは言っても根本は自営(self-employed)です。アルバイトやパート、非正規雇用者ではありません。当たり前のことですが、自立し、経営を成り立たせるための努力が必要です。長期にわたり低迷を続けていた経済もやや持ち直したように感じますが、まだまだ予断を許すような状況ではありません。翻訳者として翻訳スキルを高めるのは当然ですが、厳しい状況を乗り切るだけのビジネススキルを身につけることも大切だと思うのです。翻訳の仕事を始めるよりも、安定して仕事を継続することの方が難しいかもしれません。
 
私は、しばらく文学畑であったことと会社勤めの経験がないことから、一般に言うところのビジネススキルが乏しく、苦手としてきました。ただ、実家が自営業(主に飲食業)であったため、身近なところから自営業について、良い点も悪い点も学ぶことができました。むしろ悪いことの方が多く、多くの浮き沈みを経験しています。また、経験だけでなく、カレッジでビジネス系のクラスを取ったり、最近では放送大学で経済・経営系のコースを修了したりするなど、スキルアップに努めてきました。
 
仕事を始めた当初より屋号とドメイン名を持って活動しています。法人ではありませんが、これにより、実態は「個人対企業」であっても、自営業者として「企業対企業」のビジネ ス関係を構築できるのではないかと考えました。対等のビジネスパートナーとしての関係です。信頼関係が成立するには、対等な関係が必要だと思います。さら に、屋号とドメインは、まったく人脈のない世界で自分の存在をアピールし、つながりを広げていく上で強力なビジネスツールとなりました。
 
さて、単価(収入)の話を避けて通るわけにはいきませんので、少しは触れておきたいと思います。
率直に言って、私自身は「最低ラインは守る」ことと「取引先の差をなくす」こと以外、あまり単価にはこだわっていません。単価の「最低ラインを守る」のは、 最低限の生活を守るためです。また、「取引先の差をなくす」のは、受ける仕事に対して優劣をつけたくないためです。自分の現在の単価は一般に言われている 平均単価そのものであり、低いわけでも高いわけでもありません。会社によって平均に多少の違いはありますが、現在の自分のレベルを考えたとき、妥当な単価だと考えています。もちろん、単価を上げ、収入を上げたいという気持ちもあります。ただ、収入だけを目的に仕事をしたくはないと思うのです。
 
翻訳者の収入については、色々な考え方があります。私は、単純に高品質・高単価を目指す時代は終わったと考えています。「右肩上がりの成長=成功」という考えは、昭和の高度成長期の遺物に過ぎません。グローバル化を初め、様々な要因が絡み合って右肩上がりの成長は望めない今、高品質で高価格のセグメントだけ にこだわっていては、いわゆるガラケーや家電業界がそうであったように、競争力を失い生き残ることが難しくなると思います。もちろん、低品質・低単価に留まっていてよいわけではありません。
 
価格が下落しているのは、「代わりがいくらでもいる」という水準の仕事や「求められる品質が決して 高くない」仕事だと言われています。実際、「代わりがいない」、「高品質」の仕事はそれほど下落していないようです。単純に考えれば、「高品質」で「オンリーワン」の翻訳者を目指せばよいということになります。結果として、高単価になるはずです。ただし、「高品質」の市場のパイは決して大きいわけではな く、「高単価」であっても収入が増えないという状況になる可能性があることに注意する必要があります。プロの翻訳者として、品質の向上を目指すのは当然ですが、「高品質」で「高単価」の市場でなくても、低くとも妥当と判断できる単価で生き残る方法もあるはずです。翻訳者自身がそのような方法を見つけること が重要であり、そのための努力を怠ってはならないと思います。
 
IT翻訳として
専門はIT翻訳ですが、範囲を広げるという意味を含めて、自分ではIT/ICT(情報通信技術)翻訳と呼んでいます。IT翻訳といえば、マニュアルやUI、 ハードウェア系の技術文書などが思い浮かぶと思いますが、実際は非常に多種多様な文書を取り扱います。そのため、専門性を高めると同時に、分野を狭めずに 仕事の範囲を柔軟に広げていくことも大切だと考えています。
 
前職がシステム開発であったこともあり、CATツールやアプリケーション、 マクロなどは(好みもありますが)平均的なIT翻訳者よりは使いこなせていると自負しています。新しいツールであっても、短時間かつ自力で習得できます し、トラブルシューティングにも強いと思っています。
 

<画面も机も広い作業スペース>
 
CAT ツールに限らず、仕事に使用するアプリケーションやツールは使いこなして当然だと思います。これらは、料理人の包丁や他の調理道具に当たるものです。常にきちんと研ぎ、磨く必要があると思います。道具を使いこなせる翻訳者と道具に使われる翻訳者とでは大きな違いが生まれるはずです。また、よく言われること ですが、ツールによる弊害も理解する必要があります。どのようなツール、アプリケーションでも長所と短所がありますし、使用者や作業内容との相性などもあります。このようなツールの特性を見極めることも大切です。
 
多くの場合、このようなツールは作業の効率化を目指して導入されます。実際、私もマクロを作成したり、各種ツールを自分なりに使いこなしてきましたが、ある日、ちょっとした疑問が浮かびました。「本当に効率化できているのか」 と。確かに、繰り返しや煩雑になる作業には効果的ですし、特に正規表現などは品質チェックには欠かせません。しかし、ツールに頼りすぎた面があり、翻訳そのものが疎かになりかけているのではないか、必要なプロセスまで省いてしまっているのではないかと思ったのです。そこで、指定案件を除き、ツールの使い方について一度白紙に戻し、自分の翻訳プロセスを見直して、どの部分でどう改善すれば効率を上げることができるのかを検討することにしました。これは、今も試行錯誤を繰り返しています。
 
単純に既存のツールやマクロを導入するのはいつでもできます。肝心なことは、それらが自分の翻訳プロセス (思考プロセス)や作業プロセスに適しているかどうか、本当に自分に必要なものであるかどうかを見極めることです。さらに、ツールを活用した作業効率化に は限界があるということも理解しておく必要があります。効率化(ルール)はあくまでも翻訳のための手段であり目的ではありません。
 
IT 翻訳という分野は非常にもてはやされた時期もありましたが、現在は厳しい状況です。やや回復気味にあるとはいえ、価格競争は激化しており、納期短縮や作業量の増加という圧力もあります。耐えきれず廃業をしたり、他分野へ転向したりという話を耳にすることもあります。今後、IT翻訳で生き残り、生計を立てていくのは難しいのでしょうか。答えは簡単です。「生き残れる翻訳者だけが生き残れる」ということです。これは、他の分野であっても同じことです。生き残るための自分なりの方法を見つけて実践していくほかありません。見つけられなければ、淘汰されていきます。幸いなことに、IT翻訳という分野は他の分野に比べて多様であり、その適用範囲は思っている以上に広大です。自分がオンリーワンになれる場所はきっとあるはずです。
 
次のステージへ
先の翻訳勉強会「十人十色」は私にとって、大きな転機になったようです。生き残り戦略などという偉そうなプレゼンテーションの中で、「どうすべきか」などと語っている本人が「どうすべきか」を分かっていません。分かっていないからこそ、これまでのように試行錯誤を繰り返し、さらに新しいことにチャレンジしたいと思います。プレゼンテーションの後、好意的なコメントをたくさんいただき、ホッとしたのもつかの間、さらに表に出て発言するようにとの声もかけていただくようになりました。私の拙く支離滅裂な話でも、何かお役に立つのであれば、喜んで表に出て、受け身ではなく能動的に活動しようと思います。
 
その1つとして、友人達と勉強会を 始めてみました。勉強会では、教えてもらうという態度ではなく、学びとろうとする姿勢を大切にしたいと思います。参加するだけ、教えてもらいに行くだけでは、他のセミナーや勉強会と何ら変わりありません。翻訳分野も経験年数も異なる集まりですが、積極的に関わりアウトプットを続けることで、新しい発見があるかもしれないと期待しています。時間的な余裕があるわけではありませんが、上手に時間をやり繰りしていくのもチャレンジの1つです。また、仕事の方でも負荷を増やすなど、これまでとは違った要求を自分に課しています。人は要求のレベルに応じて成長できると思っています。決して妥協することなく、さらなる 成長のために自分自身への要求のレベルを高めていきたいと思います。成長し続けようと試行錯誤を続けることに、1番のこだわりがあるのかもしれません。い つか「そこそこ」ではない翻訳者になるために。
 

<道遙かなり>
 
翻訳勉強会「十人十色大阪編」ビデオ: http://youtu.be/ywA1-SoDi2I
関西通翻勉強会「SKIT」: https://www.facebook.com/groups/459665584126938/



 

コラムオーナー

齊藤 貴昭
(Terry Saito)

 
電 子機器メーカーにて開発/製造から市場までの品質管理に長年従事。6年間の社内通訳・翻訳者を経験後、2007年から翻訳コーディネータ(兼翻訳者)。 「製造業の品質管理を翻訳品質管理へ」「サラリーマン枠の超越」をテーマに日々格闘中。ポタリングが趣味。甘いもの好き。TwitterやBlog「翻訳 横丁の裏路地」にて翻訳に関する情報発信をしています。

■Twitter:terrysaito
■Blog:http://terrysaito.com



 

MISSION STATEMENT

「翻訳横丁の表通り」には色々な人々が往来するようになりました。このコーナーでは、翻訳者さん達に「翻訳横丁の表通り」に出店して頂き、自身が持つ翻訳への「こだわり」を記事にして頂きます。「想い」であったり「ツール」であったり、「翻訳方法」であったり「将来の夢」であったり、何が飛び出るかは執筆者の翻訳への「こだわり」次第。ちょっと立ち寄って、覗いていきませんか?