- トップ
- 連載コラム「WordSmyth Café」一覧
- 焼き物と翻訳と私●大山ヴィクトリア
焼き物と翻訳と私●大山ヴィクトリア
2013/09/06
焼き物と翻訳と私
大山 ヴィクトリア (Victoria Oyama)

オーストラリア、クイーンズランド州出身
昭和49年 来日し、陶芸の道に入る
平成16年 オーストラリアへ帰国
平成20年 日本語とコミュニケーション学を専攻し、学士課程修了
平成22年 クイーンズランド大学にて日本語通訳翻訳修士課程修了
同時にNAATI(オーストラリア翻訳・通訳資格認定機関)より日英プロ翻訳者の認定を受ける
平成23年1月 再び日本へ、同年6月に日本翻訳者協会(JAT)東京地区活動委員会に入る
現在、東京を拠点とし、フリーランスベースで翻訳をするかたわら、週の半分は翻訳会社で社内翻訳・校閲をこなし、神戸女学院大学にて非常勤講師として日英翻訳の教鞭も執る
焼き物についてつぶやいているアカウント名は @MashikoPotter
日本の焼き物は、その歴史がおよそ12,000年まで遡ることはご存じでしょうか。縄文土器に始まり、弥生土器、土師器(はじき)、須恵器(すえき)、灰釉陶器、焼締陶器、施釉陶器と、時代とともにそのスタイルは変化してきました。鎌倉時代に日本六古窯が築かれ、日本の文化や暮らしには、焼き物が常に身近に存在してきました。私は、そんな歴史や伝統を持つ日本の焼き物に憧れ自ら学ぶため、昭和49年に来日しました。しかし向かった先は、日本六古窯の地ではなく、まだ比較的歴史の浅い焼き物の地、益子町でした。
なぜ日本から遠いオーストラリアにいた私が、益子焼を知っていたのかと不思議に感じる方もいると思います。私は元々焼き物には興味があり、イギリスの陶芸家バーナード・リーチが書いた本A Potter in Japan(日本絵日記)を18歳の時に読みました。その本でリーチは、仲間であった濱田庄司に触れていました。濱田庄司は、リーチや柳宗悦と共に日本の民藝運動を広め、1955年に第1回の人間国宝に認定されました。リーチの本を読んで私は日本、そして益子で焼き物を学ぶことを決心しました。
まだ日本語をほとんど話せなかった私でしたが(まさか居ついてしまうとは夢にも思っていませんでした)、益子の人々は実に親切で、幸運にも益子で有為な作家であった須藤武雄氏の元に弟子入りすることができました。濱田工房の敷居は高かったのですが、濱田先生の三男、篤哉さんが私の先生と同級生で、そのつながりから、私も濱田工房にお邪魔することがあり、時には濱田庄司先生に遭遇することもありました。

人間国宝濱田庄司
また、焼き物を作るということは、人間にとってごく自然な行為であり、何千年も前から続けられてきた心にも体にも心地よい営みです。とはいえ、益子に来た当初、私は焼き物が好きでありながらも、ロクロはできませんでした。弟子入りした先は蹴轆轤(けろくろ)だったので、修業は苦労の連続でした。
せっかく日本まで焼き物を学びに来て、こんなことで諦めるわけにもいかず、根性を出して頑張ったら、どうにか少しずつ物を作れるようになりました。益子は小さな田舎町ですが、焼き物を勉強したい若者が常に国内外から集まる地です。仲間で切磋琢磨しながら楽しく過ごす暮らしは充実していました。季節は巡り、私は修業を終え卒業展を開催したのち、ビザの関係で一旦日本を離れました。しばらくオーストラリアで作陶したのち日本に戻り、修業時代に知り合った主人と窯を築くことになりました。主人は濱田庄司先生の最後の弟子で、濱田工房のスタイルを踏襲した作品を作っており、夫婦二人三脚で頑張りました。
二人の子どもにも恵まれ、月日は流れます。子供が大きくなるにつれ、私は自分だけの独特の物を作り出すことに集中しました。益子の自然環境の中で見つけたはっぱ、例えば朴の葉などを使って葉皿をつくり、海で見つけた帆立貝などを使って貝の皿などを作りました。しかし転機が訪れたのは長女がオーストラリアの大学で修学中です。オーストラリアに帰国した際、自分も人生で初めて大学に入ろうと思い立ち、晴れて娘と同じ女子大生になりました。サンシャイン・コースト大学にて日本語とコミュニケーションを専攻(いわゆるダブルメジャー)し、目白大学での1年間の留学を経て、無事に学部主席で学士号を取得しました。卒業後はそのままクイーンズランド大学大学院にて日本語翻訳通訳修士課程(MAJIT)を修めました。
大学院卒業後、私は東日本大震災に間に合わせたかのように2011年1月、東京へ帰ってきました。今は週2日社内翻訳、校閲の仕事をしながらフリーランス翻訳業をしております。焼き物がきっかけで来日しましたが、その後思わぬ大胆な方向転換を遂げたのも不思議な縁です。翻訳の依頼内容が焼き物や民藝、美術に関するものであれば、この上なく嬉しいのですが、残念ながら、そういった依頼はまだ少ない状況です。
焼き物も翻訳も奥が深いです。今は焼き物の修業を始めた時のように、日々の努力を重ね、翻訳で必死に腕を磨いている最中です。好きな日本のことわざは「習うより慣れろ」、好きな四字熟語は「臨機応変」です。焼き物においても翻訳においても、このふたつの言葉は、私のスタイルにぴったりです。今後とも精進して参ります。
………………………………………………………………………………………..
益子町と益子焼 (by Victoria Oyama)
栃木県南東部に位置する益子町には、大塚慶三郎氏によって1852年に隣接する茨城県笠間市から焼き物が伝えられ、その歴史が始まりました。以来、優れた陶土を産出すること、大市場東京に近いことから、鉢、水がめ、土瓶など日用の道具の産地として発展をとげます。1924年、濱田庄司氏がこの地に移住し、「用の美」に着目した柳宗悦らと共に民藝運動を進めるかたわら、地元の工人たちに大きな影響を与え、益子焼は「芸術品」としての側面も、もつようになります。現在、窯元は約380、陶器店は50を数えます。若手からベテランまでここに窯を構える陶芸家も多く、その作風は多種多様です。春と秋には陶器市が開かれます。
皆様も機会がありましたら、是非益子へ遊びにいらしてください。東日本大震災で多くの窯元が被害を受けましたが、2年以上経ち、今では壊れていた窯も修復され、たくましく復興しています。また甚大な被害を受けた濱田庄司先生の美術館「参考館」は、多くの方のご支援によって修復が完了し、すばらしい姿で先日リオープンしました。ミュージアムショップでは、濱田工房の焼き物が良心的な価格で販売されています。濱田三代目の友緒さんと奥様の雅子さんが、二人三脚でしっかりと庄司先生の想いを継いで頑張っておられます。是非一度ご高覧くださいますよう私からもお願い申し上げます。
濱田庄司記念 益子参考館 http://www.mashiko-sankokan.net/
参考館売店のマグカップ 参考館の一部となった細工場にて 濱田友緒先生の蹴轆轤実演
Photographs courtesy of Masako and Tomoo Hamada
コラムオーナー
遠田 和子
(えんだ かずこ)
日 英翻訳の傍ら翻訳学校での講師、またプレゼン・ディベート研修の講師をしています。著書に、『英語なるほどライティング』、『Google英文ライティン グ』、『eリーディング英語学習法』(すべて講談社)があります。 趣味の一つは読書で、最近はキンドルで電子書籍を読むことが多くなりました。映画・旅 行も好きです。英語スピーチの練習と、バレエのレッスンを続けています。それぞれ少しでも上手くなるため、地道に努力しています。(えんだ かずこ)
■Website:WordSmyth 英語ラボ http://www.wordsmyth.jp
■Facebook Page:WordSmyth
MISSION STATEMENT
翻訳に関わるさまざまの人々が集う「誌上カフェ」WordSmyth Café では、毎号異なる執筆者にご登場願い、各人の「こだわりアイテム」を切り口に、信条、仕事、趣味、ライフスタイルなど硬軟取り混ぜたテーマで語っていただきます。テーマは毎回変わり、一人ひとりのこだわりや、関心の対象がよく分かるアイテムを選んでいただきます。